父が美術について話した 記録 (2020 1月7日)
余白というのは無かったんじゃないか、と もしかしたらね。
明治以降に作られた言葉かもしれないんですよ論の言語で出てきているのは、
要するに西洋化されてきた。
日本の言語だったら、文章がな、文に書かれて〝いない〟とか 行間とか、ね。
その余白というのを、これを空間論で?、 いやそうではないですよ。
西洋美術のそれと同じところに(余白というのを)置けないと思う。
要するに円に行かざる得なかった吉原治郎の
それを超える場所がなかった。もしかしたらそれは ぽっ と マレーヴィッチが
こちら(カンバス・白の地)が 作品 であって、こっち(図・黒の正方形)が 無 だ
白地を支える黒の正方形が 無 だ そういう発想だったのかもしれないんですよ
日本の余白論というのは、ここ(図・黒の正方形)を中心に見ているんじゃないのか?
私) 話しが変わるんだけど 掛け軸とか俳画 、あぁいうのを見ていると、やっぱり 影が無いんだよな かぼちゃとか魚とか描いても、すごく緻密に描いても、その物だけが紙に乗かっている、ともかく日本画は影が無い、まぁヨーロッパ人はそれに驚いたんだと思うんだけれども、その描かれた写生が、対象物としてそれだけ? みたいな
だから絵描くスタンスが西洋のと日本画とでやっぱり、その辺りで全然違ってたと思うんだけれでも、なんだか図鑑みたいに緻密に、で「その周りの白」っていうのは、見る人は、ほとんど見ていなかったんじゃないかな、って
父) だからその問題は ある面じゃ、即問題にした人は 中村二柄さんという
著一覧
美術史小論集 : 一研究者の足跡 | 一穂社 | 1999.10 | |
現代の書芸術 : 墨象の世界 | 淡交社 | 1997.10 | |
東西美術史 : 交流と相反 | 岩崎美術社 | 1994.6 | |
芸術における未完成 | 岩崎美術社 | 1991.4.30 | |
心のイメージ : 美術における未完成の問題 | 玉川大学出版部 | 1988.11.28 | |
近代絵画の見かた : ドーミエからシャガールまで/ ゲオルク・シュミット [著] ; 中村二柄訳 | 社会思想社 | 1987.5 | |
心のイメージ | 玉川大学出版部 | 1983.3 | |
レオナルドの色彩 | 岩崎美術社 | 1975 | |
美術史学の課題 | 岩崎美術社 | 1974 |
父)その先生が ガントナーという人だったんだけれど、その人に
例えば日本の、破墨山水とか まぁ雪舟とか、ああいうものを見せて
というか紹介してね、彼は「これは美しい」というけれども、「未完成だ」と
それに対して二柄さんは、「これが日本において完成作は品なんだ」と
二人で喧々とやり取りをするの、、
ガントナーは「未完成、美しいけれども未完成だ」 と
そこでのもう、西洋と、それを、日本のその空間論というかを
確立しようとした人が二丙さんの文章なのよ
で彼は、現代墨象に入っていった人なの
森田子龍あたりとやり取りをして
※ 1912(大正15)年兵庫県城崎郡豊岡町(現・豊岡市)に生まれる。東京に出て上田桑鳩の下で書作と研究を行う。桑鳩門の通信教育誌『書の美』を通じて若い美学者らと交流を持つようになり、1951(昭和26)年に書の美学的究明を掲げた書芸術総合誌『墨美』を創刊、書だけでなく世界の最先端の抽象絵画を紹介する。翌年、さまざまなジャンルで前衛的な活動をする関西在住の作家により結成された現代美術懇談会(ゲンビ)に参加する。また同年桑鳩の下を離れ、より前衛的な書を目指して同門の井上有一らと墨人会を結成し、海外でも積極的に作品を発表する。その太筆で少ない文字を書く書風は、書道界や日本美術界だけでなく世界の美術界に影響を与えた。1998(平成10)年滋賀県大津市で亡くなる。
父)だから嶋本さんが、俺が二丙さんとやりとりをしているのを知ってびっくりしたのよ、こちらは偶然なんだけれどね、手紙をやりとりしていて、彼は評論家であり美学者であるんだけれども同じ京都の教育大にいてたから、であの人はまぁ現代アートではなくて日本の絵画論を一生懸命追及してた人なんだけれど、それが吉原治郎や森田氏あたりとの交流のなかで、だから具体美術グループにとって大事な、信頼されていた人でもあったわね
だからあのちっちゃな空間のなかで、大阪や神戸や京都のあのエリアで、そういうやりとりをいっぱいしていた、俺は偶然に二丙さんと手紙で交流していて、嶋本さんはそこでじ大学だったというだけなんだけれど
*1: 森田子龍 「圓」